2012年1月22日日曜日

生涯つづく「クリスマスプレゼント」 ──論議を呼ぶ1958年のイギリス水爆実験──

生涯つづく「クリスマスプレゼント」
──論議を呼ぶ1958年のイギリス水爆実験──

英オブザーバー紙(『ジャパンタイムズ』 1997年12月25日付)

(ロンドン発)
40年近く前、イギリスが太平洋でおこなった水爆実験の長期的被害について、衝撃的な新しい証拠が、クリスマス島の援助職員によって暴露された。
 イギリス人がやって来る以前のクリスマス島は熱帯の楽園であったが、現在は、発ガン性物質のゴミ捨て場となっている。クリスマス島を領土の一部とするキリバスのティトー・テブルロ大統領は、先月エジンバラで開かれたイギリス連邦首脳会議のさい、個人的にイギリスのロビン・クック外相に問題を提起し、この小国の首都タラワのイギリス大使館には陳情がおこなわれた。
 1958年、イギリスはクリスマス島沖合いで核実験をおこない、1964年、何トンにものぼる装備をあとに残して去っていった。島民たちは、これが放射能を帯びていたのではないかと疑っている。オーストラリアの援助職員らは、キリバス政府のために報告を作成し、「過失犯」としてイギリスを告発している。かれらは、毒物および発ガン性の毒物が給水施設に浸透していることを発見した。報告を作成した水道技師のネール・カービィは次のように述べた。「イギリスはあたかも敵から撤退していったかのようだった。かれらにはこの窮状を解決する道義的責任がある。」
 クリスマス島の人口は3,000人だが、50歳を越える人はほとんどいない。平均余命は55歳である。医療記録は存在しないが、一人しかいない医師は、年のいった住民が、実験のあと「奇妙な病気」を訴えたと言っている。イギリスが補償を払ったことはない。
 先月、ヨーロッパ人権裁判所において、イギリス政府を相手取り、実験期間中クリスマス島で役務についていた部隊から訴訟が起こされた。ほとんどが徴集兵からなるおよそ12,000人の軍人が実験を目撃し、そのおよそ60パーセントが放射線にかかわる疾病にかかった。10月末、スコットランドのダンディー大学の研究者たちが発表した研究は、「若年死の率が加速」していることを明らかにしている。兵士の多くは50歳代で死亡しており、その死因にはしばしば白血病や多発性骨髄腫が見受けられる。

2年前、欧州委員会(EC)はイギリスに、クリスマス島で兵役についていた兵士たちの家族に補償金を支払うよう命じた。保守党政権は、労働党の抗議にもかかわらずこれを拒否した。労働党政権はいま、保守党のとった立場を採用している。
訴えを起こした当時の兵士の一人、ケン・マクギンリーは、イギリスが島民に対しておこなったことを「恥ずかしく思う」と述べた。イギリス海外開発省スポークスマンは、キリバスに対する「環境援助」計画は存在しないと述べている。
 

被害軍人の妻の訪問 

(中部太平洋、キリバス発)
服装を見れば、彼女が旅行者であることはわかる。もし、椰子でできた小屋の真ん中にしゃがんでいる年配の白人女性が、地味な黒い服を着、つばの広い帽子をかぶっていたら、1857年に島を訪れて聖書と祈りをもたらした宣教師の一人といっても通用したであろう。だが、今は1997年であり、ジェス・マンは宣教師でもない。そして、いずれにせよ、彼女が話をしている家族は、この世でもっとも敬謙なキリスト教国であるキリバス共和国に住み、何年も前にキリスト教徒となった人たちである。

 キリバスについて聞いたことのある人はほとんどなく、これをどう発音するか知っている人はさらに少ない。ジェス・マンが、「クリスマス島」だとずっと思っていたこの島が、1979年にイギリスから独立を付与された、中部太平洋に点在する島々からなる「キリバス」という国の中で最大の島であることを知ったのは、わずか2日前のことであった。1777年のクリスマス・イブにキャプテン・クックに「発見」されたこの島は、北緯2度、カリフォルニアから4800キロメートル、オーストラリアから6400キロメートルのところにある。クックは、この島が人間の居住に適さないと考えたが、彼は間違っており、大英帝国から最も離れた辺境植民地となった。そこは、夜でも気温が24度以下に下がることはめったになく、日中は49度まで上がることもある恐るべき場所であった。
 イギリスはキリバスにキリスト教を持ち込み、そしてそれから1世紀後、もう一つのプレゼントを届けた。それは一連の水爆実験であり、一度も戦争にいったことがなく、今日まで軍隊さえ持ったことのないこの国の国民に、恐るべき結末をもたらしたのであった。
 ジェス・マンは、宣教師ではないが、巡礼の旅の途中にある。スコットランド教会の長老である彼女は、2年前白血病で死んだ夫のかつての足取りをたどるため、10月半ばに当地に到着した。夫のフィル・マンは1958年に兵士として、巨大なきのこ曇を目撃した。実際彼は、上官たちによってそれを直視するよう命じられたのであった。
それは、フィル・マン一人ではなかった。ほとんどが徴集兵からなる1万2千名の兵士全員が、クリスマス島の実験で放射性降下物を浴びたのである。その結果、これら部隊の兵士の60パーセントにのぼる人たちが、病気にかかった。多くが死んだが、そのうちの一部は、もっとも悲惨な死にかたをした。今なお、かれらの息子や娘たちは先天的異常をおこしやすい。フィル・マンと彼の仲間は、爆弾が爆発したとき、海岸を行進させられた。部隊は、シャツ、半ズボンなど熱帯用の標準的な軍服のみで、ゴーグルや防護服は着用していなかった。事後、被爆の検査さえもおこなわれなかった。

 部隊がそこにいたのは偶然ではない。実際、フィル・マンは、イギリス政府に殺されたと言っても言い過ぎではない。ロンドンの公文書館で発掘された秘密文書は、一連の実験の目的の一つが、兵士の被曝の影響を確かめることにあったことを明らかにしている。彼の未亡人はいまなお、これについて語りたがらない。「死んだころの彼は、不機嫌で怒りっぽかった」、こう語りながら、彼女は頭を振った。いったいどうしてこのような実験をおこなうことが許されたのか、いまだに理解できないのだ。
フィルは、妻に実験のことについては語ろうとはしなかったが、島民についてはしばしば口にした。ジェス・マンは、胸にしっかりと子どもを抱いたネミという名の女性の写真を携えてキリバスにやってきた。その写真はフィルが1950年代に撮ったもので、彼女は、写っている人を見つけられると確信し、その写真を手にこの小さな空港に降り立ったのである。
そういうわけで、グラスゴーに近い東部キルブライド出身の64歳の彼女は、何千キロも離れ、自分の生きた時代からさらに百年もさかのぼったような椰子の小屋で腰を下ろしているわけである。

 クリスマス島には、テレビも新聞もラジオもない。しかし、ニュースは急速に広がり、ネミの行方はまもなく明らかになった。彼女もいまは歳をとり、彼女の夫は更に歳をとっていた。2人は、見慣れぬヨーロッパの服装をした白人女性の訪問に困惑し、緊張して床に座っていた。ネミの写真を示され、彼らは少しずつ事情をのみこんでいった。近所の人が、ジェス・マンの説明を通訳し、やがて、小屋の中のだれしもが涙ぐんだ。
 通訳を通して語ることは簡単ではない、だが、ジェス・マンは、全力を尽くした。夫の死について語るとき、彼女は、声を詰まらせ、話しつづけることさえ危ぶまれた。見ているのはつらく、気持ちが高ぶり、胸が痛むほどであった。ネミを見つけることは、死を受け入れるまでのプロセスの一部だったのである。個人の問題としてとどまるべきことが公になった。
ネミの夫は片足を失っており、彼の手は関節炎で動かず、訪問者が握手しようとすると、彼はあとずさる。ジェス・マンが夫妻にためらいがちに話をしているあいだ、巨大なカニが這いずり回り、獰猛そうなトンボが何百匹も舞っている。耐え難いほどの暑さで、蚊が容赦なく襲ってくる。村人たちは、周りに集まり、じっと見詰めつづける。

 途中で、中年の婦人が人々の中から前に進み出た。彼女が、写真の子どもであった。彼女の父親が話し始め、彼女に何か合図をした。彼女はいったん出て行き、大事なお客のために、土地の小石でつくられたネックレスを手にして、ふたたび戻ってきた。ジェス・マンは、大粒の涙をこぼした。
 彼女が平静を取り戻すには、しばらく時間が必要であった。「私が感じていることをどう言ったらよいのか分かりませんが、ネミは、涙を流して、私が彼女に会いに来たことに感謝しました。彼らは、本当に貧しい暮らしをしていました。貧しいことは予期していましたが、あれほどだとは思いませんでした。自分が恥ずかしいほどでした。私たちが買い物をするとき、店に入って『あれをちょうだい』と軽々しく言うでしょう。もう、そんなことは決して言うまいと思いました」。ジェスには、もう一人スコットランド人が同行していた。ケン・マクギンリーは59歳で、1973年以来働けなくなっていた。彼は、核の降下物によって病気にされたと信じている。彼は実験を目撃し、数日後噴き出した水疱の跡が顔に残っている。他の多くの実験に加わった「退役軍人」同様、彼にも子どもができない。
 彼は、ジェス・マンを、彼やフィルが行進を強いられた場所へと連れていった。「あれは、1958年4月28日、記念すべき日だったよ。海岸に腰を下ろすように言われてね。すると、『3、2、1、ゼロ、目を覆え!』とスピーカーから流れてきた。俺は、こぶしを両目に押し付け、爆弾が破裂する方向に背を向けた。閃光が走り、両手が透けて見えたよ。血管も血も、ひどいことに手の肉までね。焼き尽くすような痛みが走り、悲鳴をあげたよ。すると、『爆弾に注目せよ』と命令する副官の声が聞こえた。」
3日後、顔、手、首などに水疱が現われはじめ、足がしびれるようになった。軍医は、心配無い、と告げた。マクギンリーの同僚、ジンジャー・レッドマンも、おそらくおなじことを言われたはずである。爆発から数日後、レッドマンは死亡した。死因は「不明」とされた。

 ジェス・マンがクリスマス島に来た一つの理由は、島民も部隊と同様の被害を受けたかどうかを知るためであった。彼女とケンが訪ねてまわったところ、島には老人がほとんどいないことが明らかになった。同地の医師はこのことを確認した。彼が言うには、キリバスで52、3歳以上生きる人は、ほとんどいないとのことであった。
 エリテーン・カマティーは、キリバスの主席医療担当官である。かれは、今、唯一の医師として3000人の島民すべてを担当している。それは、気の遠くなるような仕事である。島の「病院」を歩いてみて、ジェス・マンは仰天した。「うちの洗面所の棚の方が、よっぽどたくさん薬がある」。朝9時、カマティーは、赤ん坊を取り上げたばかりであった。マットの上には母親と子どもが並んで横たわっていた。彼女らは、まもなく自分の村に帰ってゆく。クリスマス島ではほんの2、3人しかいない高齢者の一人であるこの医師は、疲れてはいたものの、喜びの表情であった。「この程度の資材だが、できるだけのことはやっているよ」。なんらかの資材があったとしても、いったいなんの資材があるのかははっきりしなかった。病院には、ばんそうこうさえもなかったのである。
 彼は、白血病のため十代で亡くなった患者について話してくれた。彼女の両親は、実験当時クリスマス島に住んでいた。彼はもちろん、原因は明らかだとにらんでいるが、肩をすくめただけであった。キリバスには、必要な検査をおこなう技術がないのである。「もし患者がガンであれば、…まぁ、終りだね」、と彼は説明する。
 この国には、記録が残されていない。人が死んでも、検死は行われず、死亡証明もない。カマティーがもっている、爆弾の影響についてのすべての証拠は逸話の類である。「年配の人たちが、話を聞かせてくれるよ。放射性降下物には発ガン性がある。ここに住む人たちは、みな、恐ろしがっているが、それにはそれだけの理由があるのさ」。
 ここまで話して、医師は話題を変え、イギリス軍が当地に残していった何トンもの装備について話しはじめた。一息おいてから、彼は、静かに、淡々とした調子で、放射能を帯びているから彼らはそれをこの島に置き去りにしたのではないだろうか、との仮説を示した。2人のスコットランド人は、その残骸を探しにいった。見つけるのは簡単だった。隠そうともされていなかったからだ。礁湖の岸には、何百ものドラム缶があり、ジェスはそれを調べようと近づいたが、すぐにあとずさった。ねずみの群れが、そこを巣にしていたのである。
浜辺では、二人の小さな男の子が、さびついたブルドーザーの上に乗って釣りをしていた。クリスマス島の、わずかな数の絵葉書には、熱帯の楽園風景が写し出されている。実際には、楽園どころか、発ガン性をおびたがらくたのゴミ捨て場である。ジェスは、目の前の光景を信じることができず、「どうやって、こんなふうに放置することができたの?」とくりかえしつぶやくばかりだった。

 その晩、島が切実に必要とする下水道の仕事をしているオーストラリアの援助職員たちが、問題の大きさを説明してくれた。地理的な気まぐれのおかげで、キリバスはこの世で最初に、紀元2000年の1月1日がやってくる場所である。観光が有望であることは自明であり、キリバス政府はこれを最大限に活用しようと熱を入れている。しかし、水の不足と衛生設備の貧弱さが大きな障害となっている。新しい下水システムは発展の死命を制している。援助職員たちはキリバス政府への報告を作成したが、それは、ぞっとするような内容である。
 「イギリスは、何百ものさび付いたドラム缶と石油缶を残していったが、そこから浸出した液が、瀝青の薄い層を形成している。……干ばつのため、井戸の水位は低下し、ねばねばの黒い物質が地下水面の表面に見出されている。使わなくなった危険な貯水槽が、そのまま放置されている。仮設浴場の錠前や、まだガスが詰まっている液化ガスのボンベなども。これは、過失犯罪に近いものである。アスベストで被われたボイラー、古いバス、建物の廃材、大型変圧器2台、これらは極めて毒性の強い発ガン物質である……。イギリスは、これを除去すべきである」。
 残骸は醜いだけでなく、さらに悪いことに、毒性を帯びている。よくても、水源は重金属の毒物に汚染されている。最悪の場合は、放射能を含んでいる。ジェス・マンは2つの疑問を持った。「イギリスはどうして、こんなに高価な機械類を置去りにしたのか? なにを恐れていたのか?」
 デービッド・イーティングはこの島にいるキリバス政府の代表である。彼自身も政府も困難な立場におかれている。キリバスは極度に貧しく、潜在的な援助提供者を怒らせることなどできる立場にない。イーティングは、外交的に振る舞おうとして言う。「たくさんの島民が病気を訴えている。われわれは援助関係当局に放射線の検査をするよう依頼した。イギリスを非難したくはないが、彼らは、自分たちがこの島の所有者であると思っていた。彼らは実験をおこない、その後、廃物を放置した。多くの家族は、それが父親や母親の死を引き起こしたと信じている。しかし、われわれは、それを証明する記録をもっていない。自分たちで除去する財政的ゆとりもない。イギリスは責任を認めるべきだ。われわれにも安心する資格があるはずだ。」
 日曜日には、島中の人々がこぞって礼拝にいく。ジェス・マンは、これまで一度もなかった経験をすることになる。スコットランド長老教会の長老がカトリックのミサに出席するのである。彼女の信仰宗派全体が支持しているわけではない寛容の精神をもって、彼女は「私たちは、だれもが神の子なのです」と説明する。そして、神の子たちは、幾分かの楽しみを得る資格を持っている、と。
 ジェス・マンは、村の婦人の集まりに招かれた。男性の参加は許可されない。幾分かの不安をもちながら彼女は出かけた。それは、ビンゴゲームの大会だった。「自分の目を疑いましたよ。結婚指輪をしている婦人が一人もいないことに気が付きました。彼女らはみんな笑っていました。白人女性がビンゴに興じているのをこれまで見たことがなかったからです。彼女たちは、またいらっしゃい、この次にはきっと指輪をしてくる、と言っていました。」
 イギリス植民地の遺産の擁護者たちは、道路や病院や学校などを指して、大英帝国がもたらしたものだという。部隊がこの島に道路をつくったのは事実である。だが、せいぜいそこまでの話だ。クリスマス島にはイギリス支配の遺産はただ2つ──キリスト教と放射線である。前者の証拠はふんだんにあるが、後者の影響を証明することはより困難である。だが、そうだろうか? 島への訪問者はほとんど皆無であり、「観光の目玉」として誇れるものはひとつしかない。それは、海から二、三百メートルのところに誇り高く立っている。てっぺんが7つに分かれた、世界でたった一本しかない椰子の木である。普通、椰子の木のてっぺんは一つである。「これを科学用語ではなんていうか知っているかい?」とオーストラリアの援助職員が尋ねた。「突然変異というのさ」。
記事 バリー・ヒューギル記者
(「ジャパンタイムズ」、1997年12月25日付掲載)

(日本原水協 『国際情報資料9』より)

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