2012年4月1日日曜日

被曝 爆心地1,000m以内のHibaku 元原医研 鎌田七男


被爆60年企画被爆者 命の記録 ~放射線と闘う人々の60年~ 








昭和20年8月6日・午前8時15分 高度600m






居住者7万4千人のうち
85%が死亡
奇跡的に生き残った
15%の人々にも深い傷が残された


広島大学・原爆放射線医科学研究所
原爆による放射線の健康被害調査
研究スタートは、
昭和40年
爆心地1,000m以内での被爆者
確認できたのは
2,326人

この人々を追跡調査してきた


ヒロシマ第一中学校



この10年で、14度目の手術


最初のガンは、
被曝から48年後の61才の時
大腸ガン
(40cm切除)

2年後
胃がん

その後
皮膚ガン
を8ケ所

甲状腺ガン

転移ガンではなかった。





150人のうち、少なくとも46人は倒壊した校舎から脱出していた
しかし、この生徒たちに
光熱、出血、下痢などの症状が襲った

放射線 急性障害







原爆症についての覚え書
横井 敬
  
「NHKスペシャル『被爆者・命の記録 ---- 放射線と闘う人々の60年』」を見ました(放映2005年8月6日21:00~22:13、再放映同9日1:25~2:38)。 

広島で、爆心から1km以内の地点で被爆しながら奇跡的に生き残った2,326人の被爆者について、NHKが広島大学と協力して実施した科学的検証の報告でした。 取ったノートから、要点とおもった部分を書き抜いておきます(いずれ近いうちに単行本の形で刊行されるとは思いますが、とりあえずそれまでのつなぎとして)。 私には、とくに下記(2)および(7)が、印象に残る新しい知識でした。

(1)

上記2,326人の被爆者がこうむったのは、放射線被曝による障害である。この障害は、発達中の器官の分裂・増殖の盛んな細胞に特に顕著に起こる。広島一中の一年生150人は、爆心から900メートルの校舎で被爆し、
うち46人が脱出。

4.6グレイの放射線を浴びていた

また爆心から550メートルの広島中央電話局で作業をしていて
被爆・脱出した15歳の女学生90人は、
最低4グレイの放射線を浴びていた。

(2)

まず、骨髄中で、白血球のもととなる幹細胞がダメージを受け、
被爆者の白血球の個数が急激に減少し、
被爆3週間後には、ほとんど0になる

(このことは1999年9月の「東海村臨界事故」で被曝し
その後治癒したJCO職員の治療で、
放射線医学総合研究所の手により初めて明らかにされた)。

この時期
細菌やヴィルスが体内に侵入すると、
劇症の感染症にかかって命を落とすことになる。

被爆の約1ヶ月後に大勢の死者が出た「放射線による急性障害」は、
これだと推定される。
  

脱出した広島一中生46人のうち27人は、
この「放射線による急性障害」で死亡した。

(3)

上記総数2,326人のうち、すでに死亡しているのは1,105人。

うち391人の死因はがん

鎌田七男・広島大名誉教授は、
被爆者200人の調査で
染色体異常(遺伝子欠損、遺伝子転座)をつきとめている。


(4)

被爆数年後には「白血病」を発症する人が現れた
上記の46人のうち3人は被爆後約十年で白血病により死亡している。

(5)

被爆の数十年後からは、「重複がん」を発症する人が
年々新たに発見されている。

これは「がんの転移」ではなく、「がんの同時多発」である。

上記の46人のうち7人がすでに「重複がん」で死亡しており、

現在生存している7人のうち5人は「重複がん」で苦しい闘病中

(6)

乳腺発達最中の時期に被曝した女性たちは、
そこに大きなダメージを受けた。


広島中央電話局から脱出できた女学生のうち
現在生存が確認されているのは28人だが、
うち10人は乳がん・子宮がんにかかっている。


なお被爆者の乳がんでの死亡率はふつうの女性の19.6倍にもなる

(早川式彦・広島大名誉教授)。

(7)

妊娠第8週~第15週の時期に原爆で放射線に被曝した胎児では、
重い知的障害「原爆小頭症」が発症
した。

脳細胞が形成される時期に被曝すると、
作られた脳神経細胞が脳の表面まで浮き出て
脳細胞として定着する代りに、
脳の内部に留まって固定されることが、
動物実験で確かめられている

(伏木信二・京都府立医大教授)。以上 
(よこい けい 2005.8.12.)




磯野鱧男Blogさんのブログから


【NHKスペシャル】見過ごされた被爆~残留放射線 63年目の真実~

2008年08月20日 | 読書日記など
NHK総合 2008年8月6日
NHKスペシャル


見過ごされた被爆
~残留放射線 63年目の真実~


Oさん、いわゆる入市被爆。
13日後、被爆者の救援のために、爆心地に入る。
仲間はガンや白血病でなくなっているという。
早く認定して欲しい。と、語られている。
入った人は11万人で、申請しても放射線の影響はないと却下してきたという。
国の判断が変わってきたという。

--残留放射線の影響……。

■広島大学名誉教授・鎌田七男■


入市被爆者がかなりの線量を浴びているとは想定していなかった。
--びっくりしましたね。と鎌田。

裁判で残留放射線を認める判断があいつぐ。
国は事実上認め、認定は10倍に増えるみこみだという。

◆◆◆なぜ見過ごされてきたか?◆◆◆

Oさん、女性。

短距離走の選手で病気とは無縁の活発の少女。
広島に原爆投下された時には、Oさんは三次市にいて、
被害は何もなかったという。

8月19日、広島駅へ。
広島駅から徒歩で、本川国民学校へ。
--人骨を踏んで歩いていったという。

運び込まれた重傷者はどんどん亡くなっていったという。
--1週間看護していたという。地獄だと思っていた……。


患者たちは放射線による急性症状がでていたという。

1週間後、家にかえったOさんは、同じ症状が出たという。
--髪が抜けたという……。
放射線のせいだとは考えなかったという。
37年後ガンになった時も考えなかったという。
52歳に胃ガンに、……卵巣ガンに……。
転移ではなく、被爆者特有の重複ガンだという……。

認定申請したとき、国はOさんのあびた放射線量は0とした。

その原因は科学者たちが、
          残留放射線はないとしてきたからだという。■

マンハッタン計画に参加した一人を訪問した。
--テッド・ロックウェル博士。



博士は残留放射能が発生しないように計算したという。
原爆の火の玉が地表にいかないように、計算。←火の玉に残留放射能?

アメリカ調査団はヒロシマを測定して、人体に影響を及ぼすほどの放射線は発見されなかったという。
もはや、放射線の影響は残っていないと発表。
--これが、アメリカの公式見解。
それがずっと続いていた……。
ABCC アメリカ原爆傷害調査委員会(現・放射線影響研究所)

当時、唯一の機関だったという。
入市被爆者を一度調べられたことが去年わかった。
--アンケート調査491人中314人に疑いがもたれた……。
著しい紫斑、脱毛、……死亡など放射線の影響があったという……。

元ABCC研究員・玉垣秀也さんは、入市被爆の影響だと考えていたという。

残留放射線の急性症状だと玉垣さんは考えていたという。
5例は急性の放射線障害とまったく同じだったという。
そのうち2人か3人はそのまま亡くなられた……。

残留放射線はなぜ発見されたなかったのか?
九月始めの台風で土砂が流されたから、わずかしか計測できなかった

しかし、突然、調査は中止
--白血病が頻発していたのが理由だという……。

■元ABCC研究部長 ウィリアム・シャル博士■

残留放射線がないのだから、原因ではないとした。
チフスで脱毛したという。←まさか? そんなにチフスは流行っていないのでは?
紫斑はノミにかまれた跡にみえる。←まさか?

元ABCC研究員・玉垣秀也さんも否定する。
--放射線の影響。チフスや赤痢なんて当時それほどはやっていなかった……。
もちろん、他の症状でも違いはあるだろう……。

Sさん。
--ABCCの方から積極的に、自動車で迎えにきた。
放射線の影響だとは言われなかったという。
--調査が終わっても体調不良は続く……。

日本の科学者にもそのまま受け入れられたという……。

■鎌田もABCCを信じていたという■

当時は入市被爆者を研究しようとは思っていなかった。
--被爆線量はないといわれていたので……。←患者がいるのに?

国も認めていたという。
■1957年 原爆医療法■
--元厚生省技官・浦田純一さん

1954年3月にビキニ実験・第五福竜丸事件。
入市被爆者を疑っていた……。
独断で、救済すべきだと考えていたという。
被爆者の身体をみて判断しようとしたという。
--当時、被爆者は認定しようとしなった……。
Sさんは、赤痢だと思っていたという。自分でつけたという。
医者の診断ではなかった……。
体調不良があっても、原爆のせいだとは思っていなかった……。

Oさんは、思い出したくもなかったという。
--みじめで、口に出したくないことだった……。
原爆のせいだとは思っていなかったという。
--50年を過ぎたころ。
被爆者に多くみられる重複ガンにおそわれたからだという。

親友もガンで亡くなったという……。
1996年認定を申請する。
--原爆のせいだと認めてほしい……。

■厚生省は基準をかえる■

DS86による推定値


1時間後には急速に残留放射線は0.06グレイに減ると考えていた。

3日後の残留放射線は0グレイになる。

--この番組ではないが、核実験場の砂漠でも、かなり残留放射能があったというジャーナリストの本がある。

現代史の瞬間-真珠湾攻撃からケネディ暗殺まで-

【追加】残留放射能について。
新潮文庫 ヒロシマは昔話か


そしてDS86により、Oさんなどはまったく被爆していないという。

DS86を作成した、ジョージ・カー博士。


そもそも残留放射線を重視していなかった。
--アメリカ政府の公式見解によって推定していたという。

DS86は被爆者のデータを、原子力産業にいかそうとしたものであったという。
このころ被爆者10万人のデータがまとまっていたという。
これによって、安全基準を作ろうとした……。

残留放射線は、細かな発生は無視していたという。
--移動していたので、そもそも計算をするのが無理……。


■鎌田は考えを裁判で変えたという■

鎌田は一人一人の体に残留放射線の影響はないか調査。
--染色体を調べた。
その結果は驚くものであった。
通常2本のものが3本になったりしていた……。

入市被爆者の径路を細かく調べたという。
--爆発後すぐに入った人ほど白血病になりやすい……。

■DS86■
土からだけの残留放射線を測る。
--それは砂漠の実験を基本としている。
広島には鍋や釜などがあった……。
人が住んでいたのだ。

むきだしの鉄筋などから、残留放射線が……。

一人一人を無視したことがDS86の間違いだという。

■元厚生省技官・橋爪章■


橋爪は認定基準内規を作成。

当時最新だったDS86を基準にした。

被曝量0では認定できない。←言い訳にしか聞こえない。人が基本では?

■今年3月国は基準を変更した■

Sさん。
--ABCCのカルテには赤痢ではなく、放射線による急性症状と書かれてあったという。
原爆投下後、63年たってはじめて知らされた事実!

Oさん。
認定されていない。
入市したのが遅く、期間が短かったとの判定。←染色体は?

■入市もせず遠くにいた患者■
重複ガンで入院中。
黒い雨がふったところに住んでいたという。

国はまだ本格的な調査を行っていないという……。



【磯野鱧男の感想】

わりきれない部分が多々あった……。

ご用学者というのがいるという……。

↓ 原潜の放射能漏れでも捏造があった……。

核兵器と核戦争

そして、ヒロシマの学者がくるというのでチェルノブイリ原発事故の被害者たちは喜んだ……。

↓ しかし、何も影響はないという判断を下した。

チェルノブイリから広島へ

その判断をくだしたのは、ABCCのあとを引き継いだ放射線影響研究所の学者。

被爆者たちは、こんな学者のことも知っていたのに、鎌田は知らなかったというのだろうか?

チェルノブイリ事故の現地の医師たち、特に女性医師たちは、患者第一に考えていた。

いくら、上からの命令があっても、医師として働いた……。

もちろん、ノイローゼとまちがった診断をした御用学者のような医師もいたことだろう……。

この根底には、『原爆神話』があると思う。

index

そして、ヒロシマの医師たちにも、患者思いの民間人の医師がおり、努力されていたのも歴史ですね。

また、今もこのようなことが続いている……。

たとえば、劣化ウラン弾はアメリカ政府は無害といっている……。

index

原発は戦争システムを平時にも導入したものだという人たちもいる……。

その「安全神話」のためにも、被爆者は利用され、被害を受けておられるのだと思いました……。

いつものことを許さない社会システムをつくらなければ、平和はつくられないとボクは強く思います。


放射線影響研究所用語集

1986年線量推定方式(DS86)

10年以上前に、それまで原爆被爆者における放射線障害の調査に広く使われてきた T65D と、理論上計算された線量との間の食い違いに、米国の科学者たちが気付きました。そのため、実際の放射線の量を計算する上で重要な、原爆爆発に関連する様々な因子を日米合同で見直すことになりました。その結果、1986年3月に、新しい線量推定方式である1986年線量推定方式が確立されました。DS86ではいろいろな臓器の被曝線量(臓器線量 と呼ばれる)を個人の被曝情報を基にして計算することができます。これは、T65Dではできなかったことです。 原爆放射線被曝に起因する様々な影響の線量反応関係がDS86を用いて再評価されました。DS86の正確性については 更に研究 が続けられ、最終的に2002年線量推定方式(DS02)となりました。

個人被曝合計線量(単位は グレイ)はガンマ線量と中性子線量を合計したものです。ガンマ線の空気中線量(カーマ)については空気中カーマ の項の表を参照してください。

広島に投下された原子爆弾■
e14-1-2
  広島の上空580メートルで炸裂(さくれつ)した原爆は約1キログラム(855グラム)のウランの核分裂により引き起こされました。そのエネルギーは、TNT火薬に換算すると1万5000トン分の破壊力に相当します。
ウランの核分裂にともない、
初期放射線(ガンマ線と中性子)と
残留放射能がつくられました。
中性子は瞬間的に放射され、
ガンマ線は20秒後まで強く続き、
残留放射能はガンマ線とベータ線を出しながら長く残りました。

 爆発1秒後に最大直径約280メートルの高温・高圧の火球が発生しました。火球は強烈な熱線を約3秒間放射し、約10秒間輝き続けました。爆風の先端を進む衝撃波(しょうげきは)は、30秒後に爆心地から約11キロメートルの距離まで達しておとろえました。 
▽原爆による被害▽
<熱線・爆風による被害>

数百万度という超高温に火球から放射された熱線は、主として赤外線と可視光線(肉眼で見える光線)からなり、それによる爆心地の温度は3000-4000度に達しました。
数十万気圧という超高圧の火球から発生した爆風は、先端を超音速ですすむ衝撃波と、そのあとを追って吹く突風からなり、爆心地における衝撃波の圧力は1平方メートル当たり35トン、突風の速度は1秒当たり440メートルに達しました。 
<放射線による被害>

初期放射線は、爆心地から2キロメートル以内に強く降りそそぎました。4GY(グレイ)でも半致死量(半数が死亡する線量)とされていることに注目すると、爆心地から約1キロメートル以内で屋外にいた被爆者の半数以上は、初期放射線を主因として亡くなったことになります。
残留放射能には、地面と建造物資材に残ったもの(誘導放射能)と、ウラン原子核が2個に分裂した核破片に生じたもの(死の灰)があります。地面と建物に残った残留放射線は、約1キロメートル以内では爆発後100時間強く残り、また死の灰による残留放射線は、地面と建物に残った放射能と比べて弱かったものの長時間残り、しかも「黒い雨」が降った地域には多量に残りました。
<原爆による人体への影響>

原爆の熱線・爆風・放射線が人体に与えた障害を「原爆症」といいます。原爆症は、大量の放射線が関係したことに特徴があり、急性障害と後障害に大別されています。
急性障害は被爆後4カ月間に現れた病気で、熱傷や外傷による症状のほかに、初期放射線による特徴的症状として、爆心地から1.5キロメートル以内の被爆者に脱毛、出血、白血球減少が顕著(けんちょ)に現れました。
後障害の特徴は、被爆の翌年から現れたケロイドに始まり、その後は特に白内障、白血病、諸種のがん=甲状腺(こうじょうせん)がん、乳がん、肺がんなど、胎内(たいない)被爆者の障害(小頭症や発育不全など)などに、高い発生率がみられました。
さらに、原爆の爆発以後に広島市内に入った人びとにも、残留放射線の影響で発病や死亡したと考えられる事例があります。 

▽被爆のありさま-原民喜の小説集「夏の花」の一部から▽

  作家であり被爆者でもある原民喜(はら・たみき、1905-51年)の短編小説集「夏の花」の一部を紹介します。民喜は原爆の恐しさをこの詩に託しました。
 コレガ人間ナノデス(これが人間なのです) 

  原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ(原子爆弾による変化をごらんください) 
肉体ガ恐ロシク膨張シ(肉体がおそろしく膨張し) 
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル(男も女もすべてひとつのかたちに変える) 
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ(おお そのまっ黒こげのめちゃくちゃの) 
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ(ただれた顔のむくんだくちびるから) 
洩レテ来ル声ハ(もれて来る声は) 
「助ケテ下サイ」(「助けてください」) 
ト カ細イ 静カナ言葉(と かぼそい 静かな言葉) 
コレガ コレガ人間ナノデス(これが これが人間なのです) 
人間ノ顔ナノデス(人間の顔なのです)



遠くを見つめてさんのブログから
見過ごされた被爆~残留放射線 63年後の真実~ NHKスペシャル8/6


被爆後、広島や長崎市内に入った入市被爆者は
直接被爆していないにもかかわらず、
放射線の影響とみられる急性症状が現れ、
その後、白血病やガンなどで亡くなった。
当時、いたる所で放射性物質と化した土砂や建物、死体から
強い残留放射線が発生したことなどにより、
相当量の被ばくをしていたとみられる。

昨年、発見された資料では、
アメリカは1950年代に残留放射線の調査を始めながら
「科学的に役立たない」と中止していたことがわかった。

「9月の台風で 計測が不可能になった」
「他の仕事が入った」と”中止理由”が記載されている。
Residual Radioactivity and Radiation Signs and
Symptoms in Hiroshima by L.A.Woobury 

ワシントン・マンハッタン計画に関わった人々 
--残留放射線は出なかったと断定
物理学者 テッド・ロックウェル博士
『爆発後、進駐軍が 安全に広島へ
入れるように
残留放射線が出ないように計算した

ウィリアム・シャル博士
『当時、街中で チフスが大流行していた。
それを、”残留放射線”の影響と 見間違えたのだろう
しかし..
ABCCアメリカ原爆傷害 調査委員会 (現・放射線 影響研究所)
--ABCC研究員 玉垣 秀也氏
『当時、チフスは流行っていない
『調査した491名中 314名に残留放射線の疑いが認められた』 


1957年 原爆医療法では、入市被爆者も保障したが... 

--患者は ABCCの検査結果を知らされなかった上

--『入市被爆者の残留放射線線量は無いと教わっていた。

-- ある患者は、症状を自己診断で「赤痢」とし、- 申請をしないまま63年
1986年 被爆者のデータを 原子力産業で利用する目的で 
原発の安全基準 DS86(日米科学者の推定値)を作成

その際、残留放射線は 土から発生したもののみを対象とし
結果、ゼロとはじき出された。



放射線を帯びた土などが出す「残留放射線」の影響はほとんどないとして、11万人いた入市被爆者の原爆症認定の申請は、ほぼ却下された。
DS86策定責任者 
元・オークリッジ国立研究所 研究員 ジョージ・カー博士残留放射線の影響は 無い

その後も調査は行われぬまま、
入市被爆者は病気になっても国から「原爆症」と認められず、
援護のカヤの外に置かれてきた。
しかし..
広島大学教授 鎌田七男氏

残留放射線による異常を 個別に調査した結果--残留放射線を浴びた人々は 通常の3.4倍の白血病罹患 
--放射線の影響による 染色体異常を発見 
--鉄筋コンクリート他からの放射線を”計算ゼロ”とした誤りを指摘 


『 ”科学的にわからない”ということを ”無い”と すり違えた。
残留放射線については ”わからないこと”が いっぱいある。
それが イコール ”残留放射線は無い”とされた。』 


--想起::"THE SECRET HISTORY OF THE ATOMIC BOMB" by Eustace C. Mullins /
William L. Laurence, who was writing for the New York Times at full salary while also receiving a full salary from the War Department as the "public relations agent for the atomic bombpublished several stories in the New York Times denying that there had been any radiation effects on the victims of the Hiroshima bombing (Sept. 5, 1945 et seq.) in which he quotes General Groves' indignant comment, "The Japanese are still continuing their propaganda aimed at creating the impression we won the war unfairly and thus attempting to create sympathy for themselves." 

--想起:岡井耀毅氏『昭和写真劇場』 以下抜粋

1947年5月3日に施行された新憲法21条で
「検閲は、これをしてはならない。
通信の秘密は、これを侵してはならない」と規定されたにもかかわらず、
超法規的にGHQ民間諜報局翼下の
民間検閲支援(CCD)によって 情報規制が強力にすすめられた。

注目されるのは
51年まで占領下の足掛け7年間、
原爆写真に関してだけは、厳しい検閲の下に 
いっさい陽の目を見なかったという事実である。 



原爆投下から63年。
原爆投下後市内に入った「入市被爆者」と呼ばれる人達に対して、
原爆症と認定する道を開いた。

-2008年3月
2週間以内に入市して 1週間以上滞在した人を 
原爆症の認定基準に加える-

ABCCカルテ開示請求で、63年目にして はじめて 【放射線による急性症状】と知らされる人

長年、重複ガン(転移ではない)を患っても、認定基準から もれる人

原爆症認定訴訟 10月3日 国が札幌高裁に控訴 '08,10,04 毎日



















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